世界を生むとき
−子供部屋のおばけ−

  「こんにちは、エナさん」
 やはり、というか約束通りというか、ツルオカは現われた。
 けれどタイミングが悪かった。よりにもよってツルオカは志津子さんと一緒の時に来てしまったのだ。今日はたまたま志津子さんの買い物に付き合っていたのだけれど、まさか彼と商店街で会うとは思っていなかった。
 こんな時もスーツをびしっと着こなしたツルオカは、商店街の雰囲気から完全に浮いている。
 案の定、志津子さんは疑わしげな表情でエナに尋ねる。
「あら、エナ、こちらは?」
「あ、申し遅れました。僕はエナさんの中学で非常勤講師をしている鶴岡です」
 エナがどう説明しようかと考えあぐねていると、ツルオカがにっこりと笑って大嘘をついた。エナは驚いて非難の眼差しをツルオカに向けるが、彼は知らん顔で言葉を続ける。
「今日、エナさんに数学の勉強を見て欲しいと頼まれていたので、これからお宅に伺おうと思っていたのですが」
「あらあら、そうなの。それなら早く言ってくれればよかったのに」
 志津子さんは完全にツルオカの話を信じたらしく、ころころと笑いながら、エナにそう言った。
「エナがいつもお世話になってます。鶴岡先生もいらして下さったことだし、家に帰りましょうか」
「いえ、お構いは結構です。図書館の方に向かうんで。ね、」
 ツルオカはにこにこしたまま、エナに言った。何だか有無を言わさぬ強い脅迫感が感じられたのか、エナはすぐに頷いた。
「あら、そう? 残念だわ。エナが学校ではどんななのかお伺いしたかったのに。じゃあ、エナ、夕ご飯までには帰りなさいね」
 志津子さんは心底残念そうにそう言って帰っていった。買い物かごからのぞいた大根の葉っぱがゆらゆらと上下に揺れていた。

 

 昨日はあっさりと信じてしまったけれど、ツルオカはどうやら相当の食わせ者らしい。
 まさかあんなにも平然と大嘘が口から滑り出してくるなんて!
 エナの頭の中は怒りで支配された。今にもツルオカにつかみかかりそうな勢いで一気にまくし立てる。
「どうして志津子さんが居るときに来たの! しかもあんな嘘までついて!」
「え、え、どうしてエナさん怒ってるんですか?」
 間の抜けた声でツルオカは反論する。けれど、騙されてはいけない。これがもしかしたら彼の常套手段なのかもしれないのだから。
「……ツルオカは嘘なんてつけないと思ってた。だから話聞こうって思ったのに! なのに、簡単に嘘つくんだ!」
「ご、ごめんなさい。でもあの方が居たら、話の続きが出来ないじゃないですか。こう見えても僕、焦ってるんですよ。エナさんが早くこの世界を壊さないと、ナツ……」
「ちょ、ちょっと黙ってッ」
 道端でいきなり『世界を壊さないと』だなんて、誰かに聞かれたらどうするつもりだろう。幸い今は誰にも聞かれなかったみたいだけれど。とりあえず、エナは咄嗟にツルオカの手を掴むと、一目散に商店街を駆け抜けた。
 はあはあと息が荒くなる。肩を小さく上下させながら、エナはツルオカを盗み見た。けれどツルオカは全く息が上がった様子もない。それどころか、誰もいないというのに、またにこにこといらない愛想を振りまいている。
 人気のない場所、と考えたら無意識のうちにあの裏路地に来てしまった。ツルオカと出会った場所でもあり、エナの大嫌いなこの裏路地に。
「結局あなたは何が目的なの!」
「目的、……ですか?」
 その瞬間、ツルオカの表情が変わった。今までよりもずっと真剣な表情に。けれど、ここで言葉を止めるわけにはいかない。結局のところ、エナはこの男のことを殆ど知らないのだ。ツルオカという名前と、「天使」だということ以外は、何も……。
「そう、目的」
「難しい質問ですね。……でも敢えて言うならば、エナさんにこの世界を破壊して貰うことと、…………ナツカワを捜し出して、僕自身の手で始末することです」
「ナツカワって誰? この間からその名前何度も聞くけど」
「彼は僕の……親友でした」
「でした? 過去形なんだ」
「ええ、天界を抜け出し、人の夢に寄生して生気を取って暮らしているらしくて。ナツカワに寄生された人は、生きるのに必要な何かを一つ失ってしまいます。それは人によって様々で、肉体の一部だったり、精神だったり……声だったりします」
 エナにはツルオカの言いたいことがちっとも分からない。ただ、エナが喋れるということにあんなにも安堵していたのは、ナツカワに「声」を奪われたと思っていたかららしい、ということだけは分かった。
「それじゃ、私には何の関係もないじゃない」
「本当にそう思うんですか?」
 今まで以上に生まじめな顔つきでツルオカが言った。エナはつられて小さく頷く。
「ナツカワが寄生してないからって、危険な状態には変わりありません。…………まだ、気づかないんですか? ……この世界は――今エナさんが居るこの世界は、あなたが作り出した『夢の世界』だってことに」
 ツルオカはやっぱりサイコさんなのだろうか? エナは彼を見たものの、冗談を言っている風ではない。至極真剣な眼差しだ。
「何、言ってるの?」
「……半年前、あなたの弟さんが死にましたよね」
「う、うん」
「それなら、どうして今あなたの部屋に弟さんがいるんですか?」
「それは!」
 そこまで言って、エナは自分が何も言い返せないことに気づいてしまった。
「でも、現にタクロウは私の家に居て……」
「それが夢だと言ってるんです。いえ、正確には、夢と現実がごたまぜになってしまってるんですが」
「でも、でも」
「考えてみてください。ここ半年で、あなたは急にタクロウ君と仲良くなった。以前は喧嘩が絶えなくて、一緒の部屋で暮らすことをお互いに嫌がっていたにも拘らず」
「そんなことない。私とタクロウは昔から仲良く……」
 そこまで言った時、ふとエナの脳裏にタクロウが「死んだ」日のことが浮かんだ。
『お前なんて拾われたクセに、姉貴ぶるんじゃない! エナなんかどっかいっちまえ!』 これは確かにタクロウが言った台詞だ。
 エナは考える。その前に、私って何て言ったっけ……。
 エナの頭の中で警告アラームがけたたましく鳴り響いた。まるで、これ以上考えてはいけないと自分自身が勧告しているかのように。
「お願いです、もう逃げないでください。タクロウ君の死と真っ正面から向き合ってください。……お願いだから、僕……最…………」
 ツルオカがそう言うと、辺りは閃光に包まれた。そしてエナはそのあまりの眩しさに、目を閉じた。薄れゆく意識の中、エナはなぜか今のツルオカの言葉を思い返していた。後半はうまく聞き取れなかったけれど、一体何を言っていたのだろう――と。

 

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